日本共産党の事実上の党首は、委員長(日本共産党中央委員会幹部会委員長)という役職である。現在は、5代目の志位委員長が務めている。志位委員長は柔和なイメージをもつかもしれないが、初代委員長、宮本顕治が無期懲役の実刑を受けていた事実をみなさんご存じであろうか。
日本共産党初代委員長宮本顕治
この宮本顕治は、戦後、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した人物であることをはじめに明記しておきたい。参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長、同委員長、同議長を歴任している。
しんぶん赤旗に「極刑」の文字=リンチ殺人容認か!?
1933年12月26日、当時の共産党幹部の宮本顕治らが、大泉兼蔵・小畑達夫(党幹部)の両名が特高警察のスパイであるとして、査問と称する”リンチ”を行い小畑達夫を死亡させたとし逮捕される。
1933年12月24日付の『赤旗』(現『しんぶん赤旗』)には「中央委員小畑達夫、大泉兼蔵の両名は、党撹乱者として除名し、党規に基づき極刑をもって断罪する。」との党中央の声明が掲載されている。
警視庁は、この「極刑」という表現に注目し、捜査をすすめ、小畑達夫は、宮本らに「査問」の最中に暴行を受けた末に外傷性ショックで死亡したと、裁判で認定されている。
すなわち、この事件の加害者として宮本が裁かれたのである。
宮本は、小畑の自由を拘束したことに対し
「部下のことをいじめたりしてろくなことをせぬで党紀を乱すから、それは党の結束を維持する上においてやむを得ぬことであって、違法性は阻却される。」
「ふろしきをかぶせたりして、こうやっているうちにおかしくなったから、ふろしきを取ってみたら死んでおった、そこでたまげて人工呼吸などをした」が生き返らなかった
と、裁判で陳述している。
後に、日本共産党は公式見解として、小畑の死は外傷性のものでなく特異体質によるショック死とし、当時の裁判で認定された被告人による小畑・大泉に対する暴行の事実を全て否定している。
治安維持法違反、監禁、監禁致死、監禁致傷、傷害致死、死体遺棄、銃砲火薬類取締法施行規則違反で、無期懲役の判決が下り、網走刑務所に収監されたが、終戦後、GHQの政治犯釈放の指示により釈放されることになった。
その後は、前述の通り、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導していく立場となるのである。
共産党側は、この復権措置により一般刑法犯の有罪判決も治安維持法違反の一環としてなされた不当判決であり、無実であることが証明されたとしている。
一方、当時の稲葉修法務大臣は1976年1月30日の衆議院予算委員会において、「有罪の判決があったという既往の事実まで否定するものではありません。したがって、それまでになされた判決の執行等は当然有効であるし、また、判決によって認定された犯罪事実がそれによってなかったことになるわけでもありません。いわんや、これらの判決によって認定された犯罪事実がでっち上げになるわけでももちろんございません。」との見解を示した。
リンチを行った人物が党のトップ
日本共産党は、無実を主張しているわけであるが、宮本本人は、
「ふろしきをかぶせたりして、こうやっているうちにおかしくなったから、ふろしきを取ってみたら死んでおった」
と供述している。
この事実だけみたとしても、リンチを実際に行い、殺意があろうが、なかろうが人を一人殺している事実に疑いはない。
このような人間が中心となった政党が、本当に平和で民主的な日本をはたして目指しているのだろうか。
~補足~
第77回国会、衆議院予算委員会において、共産党の不破議員が、終戦後の復権措置よりこの事件が法的に解決されているかと、当時の法務大臣へ質問したことに対する回答を補足記載しておく。
引用元:
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/077/0380/07701300380003a.html
「御質問の、法的に決着がついているかどうかという意味でございますが、
【中略】
将来に向かっては判決が言い渡されざるものとみなすと、こういうのですから。
しかし、それによって過去に行われた東京や網走での判決の執行が、これは無効で、なくなる、そういう意味ではありません。全部御破算だという意味での決着かついているということにはならないと思います。」