日本共産党が「テロ等準備罪」新設を拒む理由
テロなど組織的な重大犯罪を防止するための「テロ等準備罪」の新設をめざす組織犯罪処罰法改正案(テロ等準備罪法案)が、自民、公明の与党などの賛成多数で可決されました。
野党は、これを「共謀罪だ」と喧伝し、衆議院法務委員会での採決で委員長席のマイクを奪うなど、議事進行を激しく妨害。日本共産党と関わりがあるとされる市民団体もビラ配布やデモ活動を行うなど、躍起になって「反対」を主張しています。
なぜ日本共産党は、テロ等準備罪法案を強く反対するのでしょうか。
「組織的犯罪集団」が対象
テロ等準備罪では、組織的犯罪集団が犯罪に着手する前の段階で検挙・処罰が可能となることで,被害の未然防止が期待されています。
法案で定められた対象は、組織的犯罪集団に限定されているのです。
テロ組織、暴力団、薬物密売組織など、対象はあくまでも、犯罪を目的とする団体
であり、正当なことを行っている民間団体、労働組合、サークルなどは当然含まれません。
「準備行為」が行われて初めて罪が成立
こうした組織的犯罪集団が、2人以上で具体的・現実的に犯罪を計画し、計画に基づいて資金や物の手配、関係場所の下見といった犯罪を実行するための「準備行為」が行われた時に、初めてテロ等準備罪が成立します。
「日常のコミュニケーションが犯罪になる」「居酒屋で上司を殴ってやろうと話し合っただけで犯罪になる」なんてことはありえないのです。
共産党が見事に対象
テロ等準備の対象団体と対象行為を簡単に整理しましたが、日本共産党の歩みを振り返ると、これにピッタリ当てはまります。
前回のコラムで記載しましたが、日本共産党は国際組織「共産主義インターナショナル(コミンテルン)」の日本支部として、コミンテルン本部があるモスクワからの指令と資金提供を受けて、ソ連のための工作やスパイ活動を行い、自国でも革命を起こそうと考えていました。
1950年、日本共産党の指導者がモスクワに呼び集められ、「武装闘争」に決起する指令を受け、党に地下指導部とともに軍事司令部・軍事委員会が設置。その後、全国各地の交番・派出所を襲撃して警察を傷つけていきました。
1952年には、皇居外苑でデモ隊と警察が衝突して1000人以上の負傷者を出した「血のメーデー事件」をはじめ、東京、大阪、愛知で立て続けに騒乱事件や公安事件が発生。これらの事件には左翼団体、共産党が革命への準備の一環として行ったと見られているのです。
それが世間に認識されていたのか、この年の10月に行われた衆議院の総選挙で、共産党は全議席を失ってしまいました。
このほか、当ホームページで紹介している通り、警察を殺害した「白鳥事件」、党内の人間をリンチして殺害した「査問事件」など、日本共産党が組織的に犯している犯罪は枚挙に暇がありません。
こうした事実を踏まえたら、日本共産党はまさに、「組織的犯罪集団」とみられても仕方がないのです。
なぜ日本共産党が「テロ等準備罪」を執拗に反対するのか。歴史をひも解いて考えてみると、彼ら自身の立場が危うくなるからなのかもしれません。